「エンジニア」と障害者という肩書を一度脱ぎ捨ててみる

生活・暮らし情報

第1章:暗闇のSES時代と、手にした「お守り」。
文系未経験がインフラの荒波で絶望した日々の記憶

2026年2月。私は精神障害者手帳を手にしました。最初は「障害者というラベル」を背負うことに、言いようのない不安を感じていました。けれど、その震える指先で手帳をなぞったとき、不意に蘇ったのは、新卒で飛び込んだSES業界での「暗闇の日々」でした。これは、私が私を守るために始めた、再起の物語です。

1. WEB開発を夢見たはずの「インフラ」への左遷

キャリアの始まりは、キラキラした期待に溢れていました。新卒で入社した会社での教育研修。そこで学んだのはPHP、Java、JS、SQLといったWEBサイト制作の技術でした。文系出身の私は、コードを叩いて形にする楽しさに没頭し、「自分もクリエイティブな世界で生きていける」と信じて疑いませんでした。

しかし、研修が終わると同時に、現実は音を立てて崩れ去ります。同期の文系は私を含めて2名。共に「インフラエンジニア」としての配属を言い渡されたのです。WEB開発をやりたい。その想いは届かず、ただ会社の駒として「案件が決まりやすい枠」へと押し込められました。

Rituのデバッグ:社長同席面談という名の詰問

案件がなかなか決まらない焦燥感。そんな中、IT現場の面談に社長と同席したときのことを、今でも鮮明に覚えています。極度の緊張でうまく話せない私に対し、社長は冷たく放ちました。「なぜ君は論理的に説明ができないのか」。それは指導ではなく、ただの否定でした。面談は対等なやり取りではなく、値踏みされる恐怖の時間でしかありませんでした。

※深い商流(SIer、二次請け、三次請け)の中で、自分の立ち位置すら見失う構造図

2. 手取り15万と「経歴詐称」の重圧

配属されたのは、インフラのテスト案件。現場は常に炎上しており、怒号が飛び交うことも珍しくありませんでした。商流はあまりに深く、目の前のリーダーがどの会社の人間なのかさえ曖昧。そこで求められたのは、IT技術以前に「嘘を突き通すこと」でした。

案件を通すために、やったこともない経験を盛った「職務経歴書」。面談での嘘がバレないか、毎朝胃を痛めながら満員電車に揺られました。これだけ精神を削り、深夜まで働いても、手元に残る手取りはわずか15万円。 学生時代のアルバイトと大差ない報酬に、「自分の人生、これでいいのか」と何度も自分に問いかけました。

※エンジニアの帰属意識という空白

本社に帰ることもなく、自分の所属する上司の顔すら分からない。マージン率(会社がピンハネする額)を考えれば、別の会社に行けばもっと稼げることは分かっている。けれど、心はすでに限界を迎えつつありました。RPAの技術を説明しようとしても、文系卒の私には言葉が出ない。そんな無力感が、適応障害という病の種を蒔いていました。

3. 2026年、手帳を「お守り」に変える勇気

長い年月を経て、適応障害と診断された私は、今ようやく自分の足元を固めています。かつての私が欲しかったのは、誰かに認められることでも、高い年収でもなく、「休んでもいいんだよ」という絶対的な許可でした。

「障害者」というラベルを貼られることへの恐怖は、今はもうありません。それは、かつて社長に論理性を詰められ、深い商流に飲み込まれ、手取り15万で絶望していた「過去の私」を抱きしめるための、優しくて力強い盾なのです。

【Rituのデバッグ:SESは「あなたの価値」ではない】

もし今、SESという荒波の中で苦しんでいるなら。会社の都合で振り回され、自分のスキルに自信をなくしているなら、覚えておいてください。その環境こそが「バグ」であり、あなたの能力が低いわけではありません。
第2章では、この絶望の中で私を救ってくれた「看護師の彼女」と「制度」の力についてお話しします。

心のデバッグは、まず現状を認めることから

監視案件の夜に感じた、言いようのない息苦しさ。
そこで初めて訪れたメンタルクリニック。
制度を使い倒して、お財布と心を守る具体的なステップを次章で公開します。

律(Ritu)

第1章:暗闇のSES時代と、手にした「お守り」。
文系未経験がインフラの荒波で絶望した日々の記憶

2026年2月。私は精神障害者手帳を手にしました。最初は「障害者というラベル」を背負うことに、言いようのない不安を感じていました。けれど、その震える指先で手帳をなぞったとき、不意に蘇ったのは、新卒で飛び込んだSES業界での「暗闇の日々」でした。これは、私が私を守るために始めた、再起の物語です。

1. WEB開発を夢見たはずの「インフラ」への左遷

キャリアの始まりは、キラキラした期待に溢れていました。新卒で入社した会社での教育研修。そこで学んだのはPHP、Java、JS、SQLといったWEBサイト制作の技術でした。文系出身の私は、コードを叩いて形にする楽しさに没頭し、「自分もクリエイティブな世界で生きていける」と信じて疑いませんでした。

しかし、研修が終わると同時に、現実は音を立てて崩れ去ります。同期の文系は私を含めて2名。共に「インフラエンジニア」としての配属を言い渡されたのです。WEB開発をやりたい。その想いは届かず、ただ会社の駒として「案件が決まりやすい枠」へと押し込められました。

Rituのデバッグ:社長同席面談という名の詰問

案件がなかなか決まらない焦燥感。そんな中、IT現場の面談に社長と同席したときのことを、今でも鮮明に覚えています。極度の緊張でうまく話せない私に対し、社長は冷たく放ちました。「なぜ君は論理的に説明ができないのか」。それは指導ではなく、ただの否定でした。面談は対等なやり取りではなく、値踏みされる恐怖の時間でしかありませんでした。

※深い商流(SIer、二次請け、三次請け)の中で、自分の立ち位置すら見失う構造図

2. 手取り15万と「経歴詐称」の重圧

配属されたのは、インフラのテスト案件。現場は常に炎上しており、怒号が飛び交うことも珍しくありませんでした。商流はあまりに深く、目の前のリーダーがどの会社の人間なのかさえ曖昧。そこで求められたのは、IT技術以前に「嘘を突き通すこと」でした。

案件を通すために、やったこともない経験を盛った「職務経歴書」。面談での嘘がバレないか、毎朝胃を痛めながら満員電車に揺られました。これだけ精神を削り、深夜まで働いても、手元に残る手取りはわずか15万円。 学生時代のアルバイトと大差ない報酬に、「自分の人生、これでいいのか」と何度も自分に問いかけました。

※エンジニアの帰属意識という空白

本社に帰ることもなく、自分の所属する上司の顔すら分からない。マージン率(会社がピンハネする額)を考えれば、別の会社に行けばもっと稼げることは分かっている。けれど、心はすでに限界を迎えつつありました。RPAの技術を説明しようとしても、文系卒の私には言葉が出ない。そんな無力感が、適応障害という病の種を蒔いていました。

3. 2026年、手帳を「お守り」に変える勇気

長い年月を経て、適応障害と診断された私は、今ようやく自分の足元を固めています。かつての私が欲しかったのは、誰かに認められることでも、高い年収でもなく、「休んでもいいんだよ」という絶対的な許可でした。

「障害者」というラベルを貼られることへの恐怖は、今はもうありません。それは、かつて社長に論理性を詰められ、深い商流に飲み込まれ、手取り15万で絶望していた「過去の私」を抱きしめるための、優しくて力強い盾なのです。

【Rituのデバッグ:SESは「あなたの価値」ではない】

もし今、SESという荒波の中で苦しんでいるなら。会社の都合で振り回され、自分のスキルに自信をなくしているなら、覚えておいてください。その環境こそが「バグ」であり、あなたの能力が低いわけではありません。
第2章では、この絶望の中で私を救ってくれた「看護師の彼女」と「制度」の力についてお話しします。

心のデバッグは、まず現状を認めることから

監視案件の夜に感じた、言いようのない息苦しさ。
そこで初めて訪れたメンタルクリニック。
制度を使い倒して、お財布と心を守る具体的なステップを次章で公開します。

律(Ritu)

第3章:自宅待機の沈黙と、SNSという新しい「武器」。
エンジニアの枠を超えて「伝える力」に目覚めた日

コロナ禍、世界が止まったあの日。SESエンジニアだった私は「自宅待機」という名の空白に放り出されました。リモートで受ける通信講座の苦痛、終わりの見えない待機。しかし、その静寂の中で手にしたスマホが、私の人生のOSを書き換える「SNS運用」への入り口となったのです。

1. 案件が消え、会社が止まった時の「孤独」

新型コロナウイルスの蔓延により、進行中だったプロジェクトは次々と中断されました。会社に行けず、自宅で「待機」という名の自習を命じられる毎日。PCの画面越しに受ける通信講座はあまりに無機質で、一人暮らしの部屋には孤独だけが充満していました。

当時は会社で待機していた時期もあり、求人サイトの修正や教育研修の手伝いといった「SESではない業務」を任されることもありました。皮肉なことに、現場でコードを叩くよりも、自社のために手を動かす時間の方が、私の帰属意識をわずかに繋ぎ止めていたのです。

Rituの気づき:X(Twitter)という新世界

そんな折、X(旧Twitter)が急激な流行を見せ始めました。何気なく始めたSNS運用でしたが、自分の発信が誰かに届き、反応が返ってくるプロセスに私は衝撃を受けました。「IT技術そのものよりも、その技術をどう伝え、人を動かすか(マーケティング)」に、私の心は急速に傾いていったのです。

※「技術」と「価値の伝達(マーケティング)」の交差する領域に、新しいキャリアが生まれる図

2. 「障害者枠」という選択肢をデバッグする

適応障害と診断されたエンジニアにとって、一番の壁は「自分へのレッテル」です。特にエンジニアは「論理的で完璧であること」を求められがちで、障害者枠での就労を「キャリアの死」のように感じてしまう人も多いでしょう。

しかし、自宅待機を経て私が気づいたのは、「無理な環境で働き続けて再発するリスク」こそが最大のバグだということです。手帳というパスポートがあれば、最初から「通院の配慮」や「静かな環境」を正当な権利としてリクエストできます。これはワガママではなく、エンジニアが最高のパフォーマンスを出し続けるための「動作環境の整備」なのです。

Rituからの提案

あなたがもし「普通の人」を装うことに疲れているなら、一度その荷物を下ろしてみませんか。2024年からの合理的配慮の義務化により、企業側も「どうすればあなたが働きやすくなるか」を一緒に考える責任があります。手帳は、あなたがあなたらしく働ける場所を探すための、強力な会員証になります。

3. AWS詳細設計での「金言」との遭遇

その後、SESとしてAWSの設計案件に配属されることになり、私は必死に自力で詳細設計を学びました。プロジェクトに邁進する中で、クライアントの担当者から言われた言葉が、今も私の指針になっています。

「なんちゃってエンジニアにはならないようにしないとな。自分が何を作っているのか説明できない人は、これからの時代には必要なくなる。お客様にいかに価値を説明できるかが大事なんだ。」

最後にその方からは「君は真面目さが取り柄だ」と言われました。インフラの裏側を知り、かつ「伝える」ことに興味を持ち始めた私。この時、点と点が繋がり始めました。

【2026年の視点:AI時代に求められるもの】

AIがコードを書く2026年において、単なる作業員は確かに淘汰されます。しかし、Rituさんが目指した「技術の価値を言語化し、人に届ける力」は、AIには代替できない最も高単価なスキルです。適応障害での休息は、この「人間ならではのスキル」に目を向けるための必要なアップデート期間だったのです。

「エンジニア」という肩書きを、一度脱ぎ捨ててみる

自分の価値をお給料の額や、使える言語の数だけで決めるのはもう終わりにしましょう。

次章では、エージェントからの「ガン無視」を乗り越え、いかにしてマーケティングと経営企画の世界へ強行突破したのか、その「再起のハック術」を公開します。

律(Ritu)

第4章:ジョブチェンジの死闘と、「なんちゃって」からの脱却。
エージェントに拒絶された私が、自力で扉をこじ開けるまで

エンジニアから事務職や企画職へ。一見するとスマートなジョブチェンジに見えますが、その裏側は泥沼の戦いでした。「紹介できる案件はありません」という定型文に心を削られながらも、私は「自分の人生の主導権」を取り戻すために、既存のルートを捨てて走り出しました。

1. エージェントの「ガン無視」と、第二新卒の壁

転職を決意し、いくつかの有名エージェントサービスに登録しました。しかし、返ってきたのは冷たい沈黙でした。「短期離職」と「未経験職種への希望」という条件が重なった瞬間、私は市場価値のない存在として、アルゴリズムによって弾き出されたのです。「紹介できる求人がない」というメールさえ届かない、文字通りのガン無視。それは適応障害を抱える身には、この世に居場所がないと言われているような絶望感でした。

当時はエンジニアの需要が旺盛でしたが、世間の目はまだ偏見に満ちていました。「エンジニアなのに、なぜ事務や企画に行きたいの?」「オタクじゃないの?」面接で投げかけられる無神経な質問。しかし、ここで引き下がれば一生SESの商流に飲み込まれ続ける。私は、エージェントを介さない「自己応募」へと戦略を切り替えました。

Rituの記憶:面接官のバイアスをデバッグする

ある企業の面接官(女性)は、私の内面ではなく見た目や清潔感を鋭くチェックしていました。また別の男性面接官は「熱意」さえあれば何とかなると言いながら、過去のエンジニア実績しか見ていない。人によって、見ている「評価のレイヤー」が全く異なる。私は一社一社、相手が何を求めているのかを必死に分析し、アピールを修正していきました。

※失業保険を「戦略的待機期間」とし、じっくりと自分に合う企業を見極めるためのタイムライン図

2. DXの波と、SNS実績という逆転劇

コロナ禍が明け、多くの企業が「DX(デジタルトランスフォーメーション)」の必要性に気づき始めていました。しかし、ITを理解し、かつ現場の言葉を喋れる人材が圧倒的に不足していました。

私が自宅待機中に磨いた「SNS運用」の実績をポートフォリオに加えると、反応が劇的に変わりました。「SNS運用を業務委託でお願いしたい」という声や、「エンジニアの経験があるなら、社内のIT化を推進してほしい」という打診。外に出ること、自分の好きなことを発信し続けることが、リハビリ以上の価値を持ち始めたのです。

お出かけの優待を「取材」に変える

手帳の優待を使って美術館や映画館へ行く。それは単なる気晴らしではありませんでした。「なぜこのサービスは流行っているのか」「この美術館の導線はどうなっているのか」。マーケティングの視点を持って外に出ることで、私の感性は少しずつ復旧していきました。止まっていた時間を動かすのは、いつだって「好奇心」でした。

3. 結論:自分を守るための「特定理由離職者」という盾

自己応募の戦いを支えたのは、やはり「お金の知識」でした。適応障害で退職する場合、失業保険の「自己都合」というペナルティを回避し、「特定理由離職者」として申請することができます。

これにより、通常2〜3ヶ月かかる待機期間が解除され、すぐにお金を受け取ることが可能になります。この「制度の盾」があったからこそ、私はエージェントのガン無視にも、面接官の偏見にも屈することなく、納得いくまで自分の居場所を探し続けることができたのです。

【Rituのハック:転職は「数」と「タイミング」】

「なんちゃって」と言われてもいい。最初は誰だって「なんちゃって」からのスタートです。大切なのは、自分を卑下することなく、アピールし続けること。
ようやく辿り着いたベンチャー企業での「経営企画」。そこには、さらに強烈な「個性」を持った上司たちが待っていました。

「認められた」という実感が、心の一番の薬になる

次章では、いよいよ物語のクライマックス。
経営企画部として役員たちの「金言」を浴び、WEBリニューアルを成功させるまでの怒涛の日々を描きます。
そこで私が学んだ、ビジネスの「真のアルゴリズム」とは。

律(Ritu)

第5章:経営企画への覚醒と、役員A氏の「金言」。
「認められた」実感が、ボロボロだった心を再生させた

SESの現場で「誰の役にも立っていない」と絶望していた私が、次に辿り着いたのはベンチャー企業の経営企画部でした。そこで待っていたのは、社長の要望を汲み取り、派閥を調整し、組織を動かすという全く別の次元の戦い。そして、私の人生を変える「師」との出会いでした。

1. 経営企画部、それは「組織のデバッガー」

経営企画としての役割は多岐にわたりました。社長のビジョンを翻訳し、反目し合う事業部Aと事業部Bの溝を埋める調整役。朝が遅い環境は体調面で助かりましたが、夜の会食や役員との距離の近さは、かつての「監視案件」とは全く異なる種類のプレッシャーを私に与えました。

私はここで、社内のWEBサイトリニューアルという大役を任されます。SES時代、現場で黙々と作業していた経験が、ここで一気に花開きました。外部の制作会社との折衝、インフラ知識を活かしたディレクション。ついにサイトが完成した夜、役員から食事に誘われ、「君のおかげで会議の質が上がった」と言われたとき、私は生まれて初めて「社会に居場所がある」と心の底から実感しました。

Rituが授かった金言:役員Aのビジネス・アルゴリズム

役員A氏は、ランチの場所選びからビジネスの本質を説く人でした。「この店がなぜ人気か? 接客と食材のクオリティを分析しろ」「5W1Hが基本だ。忙しい相手には結論から、コンパクトに伝えろ」。彼から教わったのは、小手先のテクニックではなく、「自責でやり切る」というプロフェッショナルの矜持でした。

※役員A氏から学んだ「5W1H」と「結論ファースト」を視覚化した、伝わる思考の構造図

2. 手帳という「光」と、適応障害の「影」

「障害者手帳のメリット」の核心が、ここでの生活にありました。役員A氏から「君はそこらへんにいる部長より上だ」と評価され、子会社の経営まで打診される日々。しかし、期待に応えようとする真面目さが、再び私を追い詰めていきました。

ISOの取得という重要案件。組織の板挟み。席の配置すら変えられない硬直した環境。ある日、私は再び席から立てなくなりました。適応障害の再発です。会社からは休職を打診されましたが、私は、これ以上「無理な自分」を演じ続けることを辞める決断をしました。

※「普通」を目指して壊れる前に

手帳を持つことは、決してお給料を下げるためのものではありません。無理をして再発し、人生を棒に振るリスクを「デバッグ」するための手段です。役員A氏が言った「気は悪い方に流れるからね、焦らないほうがいい」という言葉。今、その意味が痛いほど分かります。

3. 2026年、DX人材が「手帳」を持つ戦略的意義

今の時代、エンジニアの経験を持ち、かつ経営企画的な「数字と調整」ができる人材は極めて稀少です。そんなあなたが適応障害という「痛み」を知っていることは、実は組織運営において強力な武器になります。

手帳があることで、自分の動作環境を最適化する。例えば、リモートワークの優先的な許可や、騒音の少ない席への配置。これらを「正当な権利」として活用しながら、役員A氏直伝の「少数派の意見を形にする力」を発揮する。それが、2026年を生き抜く新しいエリートの姿なのかもしれません。

【Rituのデバッグ:複雑なことほど燃えるあなたへ】

役員A氏はこうも言いました。「君は簡単なことより、複雑なことをした方が燃えてくるタイプだろ?」。その情熱を、他人のためではなく、まずは「自分自身の人生を整えること」に向けてみませんか。手帳は、あなたが複雑な社会の中で、自分という個体を守り抜くための最強のAPIなのです。

「信用」というアセットは、病気では消えない

役員、部長、そして社長。彼らが私に贈ってくれたのは、仕事の技術だけではなく「Rituという人間への信頼」でした。

第6章では、彼らから授かった一生モノの言葉をリスト化し、適応障害という季節をどう乗り越えるか、その最終結論をお伝えします。

律(Ritu)

第6章:人間関係のデバッグ。
社長、部長たちがくれた「信用」という武器

適応障害になり、会社を去るとき。私は「自分は逃げ出した敗北者だ」と思っていました。しかし、最後にかけられた言葉たちは、私の予想に反して温かく、そして鋭く私の本質を射抜いていました。人間関係に悩み、組織に振り回されてきた私が最後に手に入れたのは、他でもない「自分への信頼」だったのです。

1. 離れても消えない「プロとしての評価」

退職を申し出たとき、営業や人事、そして社長は誰も私を責めませんでした。それどころか、多くのリーダーたちが、私が必死に積み上げてきた「真面目さ」を肯定してくれたのです。

※技術スキルを支える土台としての「信用」と「人間性」の相関図

2. SESという構造、個人の責任ではない「歪み」

私が尊敬する人事の上司は、冷静にこう分析していました。「客先常駐は変な人も多い。それは君のせいではなく、SES全体の構造的問題だ」。

誰と出会い、どの現場に放り込まれるかという「ガチャ」に、20代の大切な時間を振り回されてしまう。それがいかに残酷なことか。社長ですら「俺だって鬱みたいになることはある。そうなると人が変わったようになるんだ」と漏らしたほど、現代のビジネスシーンは過酷です。

「障害者手帳という会員証」を使いこなすことは、こうした「構造の歪み」から自分を一時的にデタッチ(切り離し)するための知恵です。

3. 信用を「アセット」として持ち越す

手帳を手にしたからといって、これまで培ってきたインフラの知識や、経営企画での調整力が消えるわけではありません。むしろ、それらは「信用」という形の見えない資産(アセット)として、次のステージへ持ち越せます。

社長が言った「複雑な内容は紙に書く」「ロジカルシンキングを覚える」「相手を喜ばせる体験を共にする」。これらは、たとえ休職中であっても、SNS運用や日々の発信の中で実践できる「ビジネスの真理」です。

【Rituのデバッグ:卒業へのカウントダウン】

この手帳は「一生モノ」ではありません。2年ごとの更新があり、いつか「もう浮き輪はいらない」と思える日が来ます。その時、あなたの手元には、病を乗り越えた強さと、数々のリーダーから認められた「真面目さ」という、最強の武器が残っているはずです。

人生という名のプロジェクトは、何度でもリブートできる

2026年、私たちは新しい時代の入り口に立っています。

最終章では、適応障害を「OSのアップデート」と捉え直し、これからを生きるあなたへ贈る、Rituの最終結論をお届けします。

律(Ritu)

第7章:2026年、私たちが「自分」を生き直すための総括。
適応障害は、人生という名のOSアップデートだった

新卒SESでの手取り15万から、経営企画での覚醒、そして適応障害による休職。私のキャリアは、決して平坦なものではありませんでした。しかし、2026年の今、手元にある「障害者手帳」を見つめながら思うのです。このすべての経験は、私が私として、より鮮やかに生きるために必要な「儀式」だったのだと。

1. AI時代だからこそ光る「真面目さ」という希少性

2026年、AIの進化により多くの業務が自動化されました。しかし、AIがどれほど優れたコードを書き、論理的な回答を出したとしても、代替できないものがあります。それは、クライアントの痛みに寄り添い、泥臭い人間関係を調整し、「真面目」に目の前の課題と向き合い続ける姿勢です。

かつてクライアントから言われた「なんちゃってエンジニアになるな。君は真面目さが取り柄だ」という言葉。当時はその価値に気づけませんでしたが、今ならわかります。「真面目さ」は、他者との信頼関係(アセット)を構築する上での最強のエンジンなのです。適応障害になるほど誰かのために、組織のために心を砕いたあなたは、それだけで十分に、次の時代を牽引する資格を持っています。

※夜明けの都市:過去のシステム(OS)を終了し、新しい一日が始まる象徴図

2. 手帳は「卒業」するための浮き輪

最後にもう一度、精神障害者手帳は、あなたを縛る「鎖」ではなく、あなたが再び自由に泳ぎ出すための「浮き輪」です。

税金や公共料金の割引、自立支援医療による1割負担。これらを「ラッキー!」と使い倒していいんです。浮いたお金で、新しい技術書を買ったり、SNS運用の勉強をしたり、あるいは大切な人とランチに行ったりして、止まっていた時間を少しずつ動かしていきましょう。

Rituからの最後のアドバイス:心のバグを認めよう

「普通」という言葉に殺されないでください。適応障害は、あなたの心が「この環境は自分にとってエラーだ」と教えてくれたアラートです。そのアラートを無視せずに、手帳という安全装置を起動したあなたは、誰よりも勇敢なデバッガーです。いつか元気になり、手帳を返す日は「最高の卒業式」になります。それまでは、プカプカと自分のペースで進めばいいのです。

3. 結論:人生の主導権を取り戻す

SESでの挫折も、経営企画での栄光も、すべては今の私を構成する大切なコード(経験)です。役員A氏から学んだ「自責でやり切る」という姿勢は、今では「自分の人生を自分でハンドリングする」という強い意志に変わりました。

たとえ今、あなたが暗い部屋でスマホの画面を見つめ、将来への不安に震えていたとしても。この記事が、あなたの暗闇を照らす小さな光になれば幸いです。2026年、私たちは何度でもリブート(再起動)できます。そしてそのリブート後のあなたは、以前よりもずっと柔軟で、強固なセキュリティ(自己理解)を備えた、素晴らしい存在になっているはずです。

【読者へのメッセージ】

あなたの価値は、マージン率や単価、あるいは「障害者」というラベルで決まるものではありません。
あなたが今日、生き抜こうとしているその真面目さそのものに、最大の価値があるのです。
一緒に、一歩ずつ。新しい自分のOSを楽しんでいきましょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございます

苦しかったSES時代から、手帳を手に前を向くまで。
私の物語が、同じ空の下で戦うエンジニアの仲間に届くことを願っています。

あなたの人生という最高のプロジェクトが、今日からまた新しく始まりますように。

執筆者:

律(Ritu)

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