第1章:SESの深淵と、壊れゆく自分。
文系未経験が直面した「商流の闇」と適応障害の予兆
キャリアの始まりは、期待に満ちた「ITエンジニア」への挑戦でした。しかし、待っていたのはプログラミングの華やかさとは無縁の、多重下請け構造という底なしの沼。本章では、私がSESの新卒として投げ込まれた現場の実態と、適応障害の種が蒔かれた「あの頃」の記憶を紐解きます。
- 1. 「WEB開発」を夢見た文系エンジニアの誤算
- 2. 炎上現場と「エクセルすらできない」自分
- 3. 帰属意識ゼロ、手取り15万円の現実
- 1. 監視案件の静かなる地獄と「詐称」の連鎖
- 2. 傷病手当金という「武器」の申請実務
- 3. SESの帰属意識のなさを逆手に取る
- 1. 自宅待機という「精神の牢獄」
- 2. AWS案件での「なんちゃって」脱却への教え
- 3. 資格の暗記か、現場の知恵か
- 1. 「紹介できる案件はありません」という拒絶
- 2. 失業保険(特定理由離職者)を最大活用する
- 3. DXバブルの中で「SNS運用の実績」が光った
- 1. 役員A氏という「異次元の師」との邂逅
- 2. WEBリニューアル完遂と「認められた」夜
- 3. 2026年、エンジニア思考を持つ「越境者」の強み
- 1. 「調整」という名の精神的摩耗
- 2. ISO取得という「最後の一撃」
- 3. 会社を去る時の「意外な真実」
- 1. 贈られた言葉:あなたを形作る「多面的な評価」
- 2. 2026年、AI時代における「真面目さ」の価値
- 3. 結論:制度を使い、自分を愛する
1. 「WEB開発」を夢見た文系エンジニアの誤算
新卒で入社したSES企業。私を含め文系出身はわずか2名でした。入社後の外部研修では、WEBサイト制作を徹底的に叩き込まれました。PHP、Java、JavaScript、SQL。自分の書いたコードが画面を動かす快感に、「これでITの世界で生きていける」と確信していたのです。
しかし、研修終了後に言い渡された配属先は、WEB開発とは正反対の「インフラ監視・テスト」の現場でした。同期の文系2名とも、インフラ案件へ。当時、自分だけがなかなか案件が決まらず、「自分は必要とされていないのではないか」というしんどい気持ちを抱えたまま、ようやく決まったのが炎上気味のインフラ現場だったのです。
今でも鮮明に覚えているのは、現場配属前の社長同席の面談です。「なぜ君は論理的に説明ができないのか」。社長からの鋭い言葉に、私は蛇に睨まれた蛙のようにフリーズしました。極度の緊張もありましたが、それは単なる面接ではなく、まるで「商品としての価値」を値踏みされるような、冷たいやり取りでした。
深い商流の中で「自分」が消失する
配属された現場は、客先常駐の典型的な多重下請け構造でした。商流は驚くほど深く、同じチームで働く人が「大手システムインテグレーター(SIer)の人なのか、二次請け、三次請けの他社エンジニアなのか」さえ判別がつかない状態。自分が誰のために、何の目的でこの作業をしているのか。アイデンティティは急速に失われていきました。
※ピラミッドの底辺に位置し、指示の伝言ゲームに翻弄されるSESの構造図
2. 炎上現場と「エクセルすらできない」自分
最初の業務は、インフラのテストでした。当時の私は、エンジニアを名乗りながらExcelの基本操作すらままならない状態。現場の上司は他社のベテランエンジニアでしたが、あまりのスキルのなさに何度も怒られました。
しかし、その上司は厳しくも私を見捨てませんでした。LinuxのコマンドやAWSの基礎に触れる機会を与えてくれたのは彼でした。一方で、チームリーダーとのコミュニケーションは絶望的でした。「何を任せるのか」が常に不明瞭で、指示は二転三転。技術は高くても、対人交渉や教育に難があるリーダーの下で、現場の空気は常にピリついていました。
※適応障害の予兆:会議室の詰問
ある日、リーダーと私の2人が会議室に呼び出されました。「今の進捗はどうなっているんだ?」。上層部からの詰問。新人の私には答えようがなく、「よくわからないから仕方ない」と心の中で自分に言い聞かせ、感情を殺す術を覚えてしまいました。これこそが、メンタル崩壊への第一歩だったのです。
3. 帰属意識ゼロ、手取り15万円の現実
SESエンジニアは自社に帰ることはほとんどありません。所属先の上司すら誰かわからない。自分が生み出している「単価」と、実際に振り込まれる「給与」の乖離を計算したとき、激しい虚無感に襲われました。
当時の手取りは15万円。 都内の新卒が初年度から30万円もらえる現代(2026年)からすれば信じられない数字ですが、当時はそれが現実でした。「学生時代のアルバイト代と変わらないじゃないか」。その怒りは、いつしか「自分にはこの程度の価値しかないんだ」という諦めに変わっていきました。
【Rituの視点:2026年のあなたへ】
もし今、あなたが当時の私と同じように「生活リズムが安定しない」「人間関係で眠れない」と感じているなら、それはあなたの能力不足ではありません。システム(構造)の欠陥に、あなたの心が悲鳴を上げているだけなのです。
第2章:現場の崩壊と、初めてのメンタルクリニック。
監視案件の絶望の中で「傷病手当金」という命綱を掴むまで
エンジニアとして数社面談を繰り返す中で、配属されたのは「監視案件」でした。そこで待っていたのは、技術の研鑽とは無縁の、精神を削り取るルーチンワーク。本章では、私が「適応障害」の診断を受け、制度を使いながら自分を守り始めた生々しいプロセスを記録します。
1. 監視案件の静かなる地獄と「詐称」の連鎖
SESの現場を転々とする中で、避けて通れなかったのが「経歴の詐称」という業界の闇でした。面談を通過するために、やったこともない技術を「できます」と言わされる罪悪感。そんな不安を抱えたまま送り込まれた現場は、24時間365日、無機質なアラートを待ち続けるだけの「監視案件」でした。
ここでは、RPAの技術を文系卒の言葉で説明することを求められましたが、精神的に追い詰められていた私にはそれすら困難でした。商流は深く、上司とのコミュニケーションも不全。パワハラ行為があっても、診断書がなければ「そんな事実はなかった」と知らんぷりされる世界。私の心は、この監視案件でついに限界を迎えました。
当時、付き合っていた彼女は看護師でした。医療の最前線で戦う彼女の「頼りがい」は、崩れそうな私の唯一の避難所でした。「無理しなくていいよ」という彼女の言葉がなければ、私は今でもあの監視センターで、死んだような目でアラートを見つめていたかもしれません。彼女の助言で、私は初めてメンタルクリニックの門を叩きました。
※傷病手当金の支給要件:待機3日間と「通算1年6ヶ月」のイメージ図
2. 傷病手当金という「武器」の申請実務
医師から「適応障害」と診断され、私は休職を決意しました。その時、私を救った制度が「傷病手当金」です。これは単なる救済措置ではなく、エンジニアが自分自身の人生をリカバリするための「武器」です。
人事が教えてくれた「自己防衛」
当時のSES企業の人事部は、意外にも親身でした。パワハラに対する相談も、診断書という「動かぬ証拠」を突き出すことで、ようやく配慮がなされるようになりました。人事がアドバイスしてくれたのは、傷病手当金の申請フローでした。
※絶対に外せない申請のポイント
- 連続する3日間の休み(待機期間): 土日を含めて3日間連続で休んでいることが条件。4日目からが支給対象です。
- 退職日の「出勤」禁止: これが最大の罠です。退職日に挨拶や備品返却のために1時間でも働くと、退職後の継続給付資格を失います。挨拶は郵送かメールで済ませましょう。
- 月収の約67%の保障: 手取り15万円だった私にとって、この金額は生活を守るためのギリギリの防波堤でした。
3. SESの帰属意識のなさを逆手に取る
エンジニアは本社に帰ることもなく、自社の帰属意識はほぼ皆無です。しかし、休職中はこれを逆手に取りました。会社の人間関係をすべてシャットダウンし、SNSの世界に居場所を求めたのです。
社内で待機状態になった際には、求人サイトの修正や教育研修の手伝いといった「SESではない業務」を命じられることもありました。会社から見れば効率的な人員配置だったのでしょうが、私にとっては「自社サービスと向き合いたい」という欲求を再確認する機会になりました。
【Rituのデバッグ:自責をやめる勇気】
「病気になったのは自分の努力不足だ」と思わないでください。SESの商流や現場のリーダーの質は、あなたにはコントロールできない「外部変数」です。変えられない変数に悩むのではなく、制度という安定したライブラリを使って、自分のメンタルを再構築することに集中しましょう。
第3章:自宅待機の沈黙と、SNSの熱狂。
マーケティングという「新しいOS」との出会い
適応障害による休職、そしてコロナ禍の到来。世界が止まったかのような静寂の中で、私の心の中では新しい嵐が吹き始めていました。技術書を読むだけの日々に限界を感じた私が、なぜ「X(旧Twitter)」に救いを見出し、ITからマーケティングへと舵を切ったのか。その分岐点を描きます。
1. 自宅待機という「精神の牢獄」
コロナ禍になり、SESの案件が激減しました。会社からは自宅待機を命じられ、リモートで勉強や通信講座を受ける毎日。一見、自由な時間が増えたように思えますが、孤独な中での「終わりの見えない自習」は苦痛そのものでした。
そんな折、社会ではSNS(特に当時のTwitter)が急激な盛り上がりを見せていました。実社会では誰とも繋がれない不安を埋めるように、私は匿名のアカウントを作成し、運用を始めました。そこで知ったのは、IT技術そのものよりも「どうやって人の心を動かし、情報を届けるか」というマーケティングの面白さでした。
「ITは手段であって、目的ではない」。SNS運用を通じて、多くのインフルエンサーやマーケターの言葉に触れ、私のOS(思考法)が書き換えられていきました。コードを書くこと自体に価値があるのではなく、その先にある「誰かの課題を解決すること」にこそ価値がある。この気づきが、後の経営企画への転身の火種となりました。
2. AWS案件での「なんちゃって」脱却への教え
自宅待機が明け、幸運にもAWS(クラウド)の案件に配属されました。エンジニアとして最後に勝ち取った、念願の高単価案件。ここで私は、自力で詳細設計を書き上げるという過酷な試練に直面しました。
現場でクライアントから言われた言葉が、今でも胸に深く刺さっています。 「なんちゃってエンジニアにはならないようにしないといけないよ」
真のエンジニアとは何か
「自分が開発したことの意味を理解していない人や、ただ言われた通りに開発するだけの人は、これからの時代必要なくなる。お客様にいかにロジカルに説明できるかが大事なんだ」。その方は最後に「君は真面目さが取り柄だ。本当はもう少し一緒にやりたい」と言ってくれました。初めて技術者として認められた感覚と同時に、自分の「真面目さ」を技術以外のどこで活かすべきか、答えが見え始めた瞬間でした。
3. 資格の暗記か、現場の知恵か
SES時代、私はLPICやCCNAを独自に勉強していました。しかし、現場で出会ったベテランエンジニアはこう言いました。「資格の勉強なんて必要ない。現場ごとに使う知識が違うんだから、その場で必死に調べてマスターすればいい」。
事実、同期の文系エンジニアは何回もテストに落ち、資格の暗記に苦しんでいました。一方で、現場でネットワークを必死に叩き込んだ人は、資格を持たずともインフラの設計を完璧にこなしていました。この「実戦至上主義」の経験は、後のビジネスシーンで「情報を集めてフレームワークにする力」の土台となりました。
【Rituのデバッグ:手段の目的化を防ぐ】
資格取得やプログラミング言語の習得は、あくまで「武器」を増やす作業です。大切なのは、その武器を使ってどんな戦場で、誰を守るか。私は「ITインフラ」という戦場ではなく、「情報の流通と組織の調整(マーケティング)」という戦場を選ぼうと決意しました。
第4章:ジョブチェンジの死闘と失業保険。
エージェントに無視された私が掴んだ逆転の切符
エンジニアのキャリアを捨てる。それは当時の私にとって、唯一の武器を手放すような恐怖を伴う決断でした。短期離職、第二新卒、未経験職種への挑戦。転職市場の冷たい風にさらされながら、失業保険という制度をどう使いこなし、再起をかけたのか。その戦略を公開します。
1. 「紹介できる案件はありません」という拒絶
「エンジニアから事務職や別のポジションに行きたい」。転職エージェントにそう伝えたとき、返ってきたのは冷酷な現実でした。「短期離職の経歴では難しい」「実績が伴わないジョブチェンジは受け入れられない」。中には、登録した瞬間に「ガン無視」されたり、「紹介できる案件がない」と定型文で断られたりすることも多々ありました。
コロナ禍という不透明な情勢も重なり、転職市場は「即戦力」を求めていました。打算的に選んだ転職先でも冷房病に苦しみ、面接官からは「オタクですか?エンジニアの方が向いてますよ」と偏見に満ちた言葉を投げかけられる日々。私の心は、再び適応障害の淵に立たされていました。
エージェントに見捨てられた私は、戦略を「自己応募」に切り替えました。同時に、エンジニアの経験を隠すのではなく、「システムの中身がわかるマーケター・調整役」としての希少性をアピールし始めたのです。ある社長との出会いでは、「自分も病んだけど、エンジニアからビジネスを始めて成功した」という話を聞き、暗闇の中に一筋の光が見えた瞬間でした。
※傷病手当金(療養)から失業保険(活動)へのスムーズな移行図
2. 失業保険(特定理由離職者)を最大活用する
この苦しい転職活動を支えてくれたのが、失業保険(基本手当)でした。通常、自己都合による退職は給付まで2ヶ月以上の待機期間がありますが、適応障害の場合は「正当な理由のある自己都合」として、待機期間を短縮できる可能性があります。
※特定理由離職者として認められるために
ハローワークに「医師の診断書」を提出し、就労が困難であったことを説明することが不可欠です。私の場合、SESという特殊な労働環境と、診断書という客観的事実が認められ、給付制限なしで受給を開始することができました。この「お金の余裕」が、偏見に満ちた面接を笑い飛ばし、自分に合う会社をじっくり選ぶための粘り強さを生んだのです。
3. DXバブルの中で「SNS運用の実績」が光った
コロナ後、DX(デジタルトランスフォーメーション)の波が押し寄せました。急成長するベンチャー企業は、「ITがわかる人材」を喉から手が出るほど欲しがっていました。そこで私の強みとなったのが、休職中に育てたSNS運用の実績でした。
面接の中で「SNS運用を業務委託で受けてもいいですよ」という提案が出るほど、市場のニーズと私のスキルが合致し始めました。エンジニアとしての論理的思考と、マーケティングの視点。この掛け算が、ようやく社会に認められ始めたのです。
【Rituのデバッグ:エージェントの言葉は真実ではない】
エージェントは「紹介料」で動くビジネスです。決まりにくい人材を断るのは彼らの都合であり、あなたの価値とは無関係です。断られたら「この人は見る目がないな」と切り捨てて、自分から直接エントリーする勇気を持ってください。2026年の今、直接応募やSNS経由の採用こそが、ミスマッチを防ぐ王道になっています。
第5章:経営企画・DXへの覚醒。
役員A氏の金言と、エンジニア思考が導いた「成功」
エンジニアの技術を「手段」として使い、組織を動かす。ベンチャーの経営企画部として採用された私を待っていたのは、コードを書くことよりも遥かに複雑な「人間の感情とビジョンの調整」でした。本章では、私の人生を変えた役員たちとの出会いと、認められる快感を知ったWEBリニューアルの舞台裏を綴ります。
1. 役員A氏という「異次元の師」との邂逅
経営企画部としての私の役割は、社長の要望を汲み取り、各事業部の役員たちの意図を方向づける「社内の調整役」でした。そこで多大な影響を受けたのが、役員A氏です。彼はランチの場所選び一つとっても、「なぜこの店は人気なのか」「接客の仕組みはどうなっているのか」を問いかける、ビジネスの塊のような人でした。
「君はそこらへんにいる部長より全然上だ。5W1Hがすべての基本。文章をコンパクトにしろ。背景から話さないと人は頭に入らない」。
彼は私にビジネスのいろはを叩き込みました。エンジニア出身の私に対して、「情報を集めてフレームにする力が高い」「YESと最初に引き受ける姿勢がいい」と、私の資質を見抜いてくれたのです。
ビジネス・アルゴリズム:5W1Hと自責思考
A氏から教わったのは、単なるスキルではなく「生きる姿勢」でした。「少数派の意見が優先されないとき、どうするのかが問われる。他責ではなく自責でやり切れ」。仕事で失敗しても、「どう改善していくかが大事」と背中を押してくれました。エンジニアがバグをデバッグするように、ビジネスの失敗も「仕組み」で解決する。この考え方が、私の心を救いました。
※役員Aの教えを「入力・処理・出力」のロジックで体系化した図
2. WEBリニューアル完遂と「認められた」夜
私が任された大きなプロジェクトが、自社WEBサイトのリニューアルでした。SES時代に培ったインフラの知識と、自宅待機中に独学したWEBマーケティングの知識がここで爆発しました。
社長、役員A、役員B……それぞれの派閥やビジョンの違いを調整し、ようやくサイトを完成させた夜。役員から食事に誘われました。 「君がいたから会議の質が上がった。子会社も任せたいと思っている」
あの日、駅のホームで足が震えていた自分。SESで「誰でもいい」と言われていた自分。その私が、初めて「個」として認められた瞬間でした。真面目さが取り柄だと言われ続けた私が、ようやくその真面目さを「結果」に変えることができたのです。
3. 2026年、エンジニア思考を持つ「越境者」の強み
「君は簡単なことより複雑なことをしたほうが燃えてくるタイプだろ?」とA氏に言われた通り、DX導入やISO取得といった難易度の高い案件に、私はのめり込みました。
2026年の今、求められているのは「コードが書けるだけの人」でも「指示を出すだけの人」でもありません。その両方の言葉を理解し、ビジネスの文脈に翻訳できる「越境者」です。
【Rituのデバッグ:複雑さは紙に書け】
社長から教わった究極のライフハックです。「複雑な内容は紙に書け。ロジカルシンキングを覚えろ。簿記やマーケティングをサボるな」。 エンジニアの強みである論理的思考に、ほんの少しの「商売の知識」を足すだけで、あなたの市場価値は10倍になります。
第6章:人間関係のデバッグ術。
派閥争いとISO案件、そして再び訪れた「限界」
経営企画というポジションは、組織の「神経系」です。社長の理想と現場の現実、役員同士のプライドのぶつかり合い。それらをすべて自分というフィルターを通すことで、組織は円滑に回ります。しかし、そのフィルターが汚れ、目詰まりを起こしたとき、再び「適応障害」という名のアラートが鳴り響きました。
1. 「調整」という名の精神的摩耗
ベンチャー企業において、私は「社長の要望を言語化し、役員AとBの対立を和らげる」という、高度な政治的調整を日常的に行っていました。役員が社長に直接言えない提言を、私が代わりに伝える。朝はゆっくり始まるものの、夜はいつまでも終わらない会議と会食。
私はここで、ある教訓を学びました。「会社で誰かと仲良くやりすぎない方が疲労しない」ということです。適度な距離感を保たなければ、他人の感情や派閥の論理に、自分の領域まで侵食されてしまう。エンジニアの職人気質を持つ私にとって、この「終わりのない人間関係のデバッグ」は、コードのバグを修正するよりも遥かにエネルギーを消費するものでした。
社長は多忙を極め、現場との溝は深まるばかり。新人の受け入れ態勢も整わない中で、私は「何とかしなければ」と孤軍奮闘しました。土日も電車の中でも勉強し、外部の社長が上司になるという複雑な体制の中でも、必死に連携を取り続けました。しかし、プライベートにまで介入してくる役員への対応など、世代間の価値観の違いは、少しずつ私の心を削っていきました。
※経営企画が直面する、多方面からの期待と重圧の構造図
2. ISO取得という「最後の一撃」
私が最後に任されたのは、ISO(国際標準化機構)の取得という重要案件でした。膨大なドキュメント作成、社内ルールの徹底、外部審査機関との折衝。これを「日常業務」をこなしながら、シングルタスクを好む私の性質とは真逆のマルチタスクで進めなければなりませんでした。
「君ならできる」という期待は、いつしか「君がやるのが当然」という無言の圧力に変わりました。役員Bからは「データが消えた、誰が責任を取るんだ?」「中途採用がうまくいかない、対策できるか?」と、次々に役割が上乗せされていきました。
※再発のサインを見逃さないで
ある朝、PCの前に座っても画面の文字が理解できなくなりました。席の場所すら変えられない、環境調整もできない。社長からは「なぜもっと周りに相談しないんだ」と言われましたが、相談するエネルギーすら枯渇していました。適応障害の再発。今回は、休職という打診を断り、私は「継続断念」という道を選ぶしかありませんでした。
3. 会社を去る時の「意外な真実」
辞めることを社長や人事に伝えたとき、責める人は一人もいませんでした。むしろ、「社会人20代は反発することもある」「IT業界は変な人も多い、SES全体の問題だ」と、私の苦労を労ってくれる言葉さえありました。
皮肉なことに、組織の中にいるときは「自分がいないと回らない」と思い込んでいましたが、私が去っても会社は回ります。でも、「私の人生」は私がいなければ回りません。 会社への貢献を優先しすぎて、自分というシステムをクラッシュさせては本末転倒なのだと、二度の経験を経てようやく骨身に染みたのです。
【Rituのデバッグ:自責のブレーキをかける】
役員A氏から教わった「自責思考」は、成長のための強力なエンジンです。しかし、使いすぎると自分を焼き尽くす諸刃の剣になります。組織の欠陥や、相性の悪い人間関係まで自分の責任だと思い込まないでください。「これは私のバグではなく、仕様(環境)の問題だ」と切り分ける勇気が、2026年を生き抜くメンタルガードになります。
第7章:信用という名のラスト・アセット。
2026年、私たちが「自分」を生き直すために
二度の適応障害、SESの闇、経営企画での栄光と挫折。振り返れば、私のキャリアは決して平坦ではありませんでした。しかし、その過程で出会った人々が残してくれた言葉は、今も私の血肉となっています。本章では、傷ついたあなたが再び前を向くための「人生のデバッグ」を締めくくります。
1. 贈られた言葉:あなたを形作る「多面的な評価」
病んでいる時は、自分を「価値のない存在」だと思い込みがちです。しかし、客観的な視点は全く違っていました。私がこれまでの歩みの中で受け取った言葉を、ここに記録します。これは私への言葉であると同時に、今苦しんでいるあなたへのエールでもあります。
- 元上司部長:「君は誰よりも真摯だ。何かを継続していたら必ず結果を生むことができる。」
- 役員B:「探求心がある。君が組む計画表やスケジュール調整は、営業にはない緻密さがある。」
- 部長D:「優しい人だ。男性はガツガツしがちだけど、君のような優しい人がいてもいいんだ。」
- 社長:「文系からインフラを経験してきたんだから大丈夫だ。半年間なら戻ってきていいよ。君は専門家やシングルタスクが向いている。」
社長は言いました。「人が辞める理由は、上司、人間関係、仕事、お金の4つなんだ」。私が苦しんだのは、この4つが複雑に絡み合っていたからです。しかし、「信用がないとビジネスは始まらない」という彼の教え通り、私が真面目に取り組んできた姿勢は、最後には「信用」という形で残っていました。
※挫折を「停止」ではなく「再起動」と捉えるマインドセット図
2. 2026年、AI時代における「真面目さ」の価値
2026年、生成AIが当たり前になり、誰でもそれなりの成果物を出せる時代になりました。だからこそ、最後は「人」であり、「信用」であり、「いかに相手を喜ばせるか」というアナログな価値が逆説的に高まっています。
社長の言葉を借りれば、「ビジネスは相手を喜ばせること。特別な体験を共有すること」です。エンジニアとして、あるいは経営企画として、私が追求してきたのは「いかに複雑なものをシンプルにし、相手に届けるか」でした。適応障害を経て手に入れた「弱者の痛みを知る視点」は、これからの時代のビジネスにおいて、最強のマーケティング武器になります。
今のあなたに伝えたいこと
「俺だって鬱みたいになるときはある」。あの厳しい社長でさえそう漏らしました。ビジネスの最前線にいる役員も経営者も、実はみんなイライラし、悩み、壊れそうになりながら戦っています。だから、あなたが今立ち止まっていることは、特別な敗北ではありません。人生という長いプロジェクトの、必要な「メンテナンス期間」なのです。
3. 結論:制度を使い、自分を愛する
この記事で紹介した「傷病手当金」「自立支援医療」「失業保険」は、単なる事務手続きではありません。あなたがこれまでの人生で懸命に戦い、納めてきた対価に対する「正当な権利」です。
「焦らないほうがよい、開始時間が変わっても生産性があがらないなら意味がない」。役員A氏のこの言葉を、今の自分に贈ってください。無理に復職を急いだり、自分に合わない環境で耐え続ける必要はありません。
【Rituからの最終メッセージ】
エンジニアとしてのスキルも、マーケティングの知識も、すべては「あなたが幸せに生きるための道具」に過ぎません。道具のために自分を壊してはいけません。 一度、すべての「べき論」をデバッグして、空っぽになった心に好きなものを少しずつ入れていきましょう。 アニメでも、ゴルフでも、SNSでもいい。本気でやりたいことは、趣味からでも仕事に繋がっていきます。


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